体験記

ミュー〜奇跡の大地〜のβテスターに挑戦

MMOにはまってしまったため調子に乗ってβテスターをやってみました

βテストとは

β(ベータ)テストとは 大規模なネットワークゲームの課金運営を開始する前に 不具合修正を目的に企業がテストプレイヤーを募り プレイしてもらうというもの。本格的なネットワークゲームを無料でプレイできるということもあって 非常に子供が多い(^^;)。 
だいたいα(アルファ)テストという 第一段階のテストプレイがあって それでの問題をある程度解決できたら βテストに移行するのが通常。 αテストはクローズドで行われることが多い。
クローズドとは オープンの逆で 要は限られた人数しか参加できないということ。 そのためαテストは 応募や抽選で権利を獲得することになるので 運が良くないと参加できない。 その点 βテストはオープンであることが多いため 誰でも参加できる。また αテストの段階よりゲームやサーバーの安定性が増しており 参加人数も多いため ほぼ課金後と同じ感覚でプレイできる。しかし 本来の目的はあくまでも「不具合修正」や「サーバーの安定運用」であり 「無料で遊べる」のではないことを認識し テスターであるという自覚を持ち 何らかのトラブルが生じた場合でも自己責任で対応することが必要である。
(※2006/09追記 αテストとは最近は言わなくなりましたね^^; クローズドβテストとかプレオープンβテストとか何かいろんな言い方があります。)

ミュー〜奇跡の大地〜

ディルムンでネットゲームに興味を覚えた私は βテストに参加してみようと思い立ち forGamer.netというサイトで 物色していた。 
その時ちょうど「ミュー〜奇蹟の大地〜」というゲームのβテスト開始直前だったので それにした。 このゲームを選んだ理由はもう一つあってβテスト開始1ヶ月後くらいに「アトランス」という海底マップが追加される予定だと書いてあったからだ。 「海底」マップを見てみたい!という単純な理由で それから約1ヶ月半ほど ミューの世界にはまることになった。
βテスト開始直後からログインし ゲーム開始。今度も悩んだ末 やはり女キャラで。なぜかって 3種類のキャラの中から1つ選択するのだが 女キャラは1つしかない。しかもディルムンとは違い キャラクターのカスタマイズ(髪型や色を変えたり肌の色を変えたりすること)ができない。 剣士の男キャラは変な格好してるし 魔導士の男キャラは弱そう。女キャラの顔が表示されるとなんかやる気にならない不細工さだが キャラクター作成画面でしかその顔は表示されない。全身で見ると結構可愛いのと 弓が使えるということで女キャラにしたのだ。
「エルメス」と名付け(※2006/09追記 今思えば電車男より先にこのネーミングを使っていたのね>私^^;) マップに入るとディルムンの幻想的な風景とはまた違う感じ。幻想的なイメージをだそうとしているんだろうけど。 
当たり判定の悪さなど なんだか作り的には不満いっぱい。やってみると分かるでしょう。それなのに「はまった」と言えるのは 面白いとかではなく 人間の本能に根ざした考え方で ゲームが作られていることに起因する。
とにもかくにも 色んな体験をこのゲームではさせてもらった。おかげでネットゲームというものの本質を見たような気がする。 色んな事を考えさせられたゲームであったことは確かだ。 

ミュー考察

結論から言うと私に今子供がいたら 絶対ネットゲームはやらせたくないということだ。(※2006/09追記 全てダメというわけではなく 一部ベルアイルや MOE みたいのなら いいかなと思うようになりました。)何故っていう人もいっぱいいるだろう。色んな意見があることは分かっている。
でも誤解を恐れずいうと(正直ゲーム作ってる立場でこんなん言ってはいけないんだろうけど)ゲーマーは色んな意味でレベル低いと思わずにはいられない。
というか まともな人には向かないよ。ネトゲって。(もちろん全部がそうだというわけでは決してないけど 基本的にはどれも同じ様なものであるのも事実)
ストーリーというものは全くなく ただひたすら同じ事を延々と繰り返し 金や宝石を貯めて いい装備を着るためにレベルを上げるだけ。
私に言わせれば 時間の無駄。得るものはない。人との関わりだって 当然上っ面だけだし 面倒なだけ。
リアル子供が多くて本当に嫌になる。何で貴重な時間さいてまで 余所の子の相手をしてやらないといけないのか 馬鹿馬鹿しくなる。

私はゲームを作ってはいるけれど基本的に「ゲーム脳」の意見に共感している。いや ネットゲームを経験して肯定派になったといっても過言ではない。(もともと否定派でなかったことは確かだが)(ゲーム脳に関する詳しいニュース記事を読みたい方はこちらをどうぞ)

PK(PlayerKiller)というシステム

私が一番衝撃だったのは PKというシステムだった。PKというのはプレイヤーキラーの略で 他のプレイヤーを攻撃しやっつけることができるというシステムである。
ネットゲームというのは 生身の人間がそのプレイヤーを操作しているし チャットなどでコミュニケーションを取ることができる。人とのふれあいが大きく関係している世界なのだ。ネットゲームの面白さはそこに集約していると言っても過言ではない。
モンスターにやられそうになっているところを 通りすがりに助けてくれたり 魔法で癒してくれたり 心温まるエピソードだって数多く経験することができる。            
でも MUの世界は ただ闇雲に延々と同じ事を繰り返し続けることができた人間が レベルを上げることができ 他のレベルが低い人間(プレイヤー)を「自分にとって邪魔だったから」というたったそれだけの理由でPKする ということが日常茶飯事にある世界なのだ。
これがどういうことか考えると ぞっとしないだろうか。

私は 基本的にニュースなどで少年犯罪をゲーム世界や漫画世界の価値観に結びつけて判断するのは間違っていると思っている。
ゲームやってる子が全てそんなことになるわけはなく 異常だと見る方が異常である。確かにゲームの目的が殺人であるとかそういうゲームがあることは確かだけど 子供だって大人だってそれは「ゲームの目的」として理解して割り切って遊んでいるのである。だから 現実とゲームがごっちゃになるようなことは普通はないのである。
でも ネットゲームは少し違うと思う。他人がそこで意志を持って動かしていることをこちらも分かっていて お互いのコミュニケーションを取っている。人と人とのつながりを常に意識する、それが ネットゲームの「ルール」なのだ。このことからして 普通のガンシューティングなどのゲームとは明らかに目的が違っている。
リアルな人との関係性が重視されるゲームシステムの中で PKというシステムがその関係性を根っこから覆すシステム・考え方であるのは明白である。要はガンシューティングなどよりリアルな殺人体験をすることができるのだ。
もし それを売りにしたネットゲームがあっても 私はそれ自体に反対はしない。でも それは 全てその考え方が理解できている人達だけが集まっているからこそ成り立つ「ルール」である。その考え方を理解していない子供が そんな考え方があるとも思わずその世界に飛び込んだとしよう。
はじめのうちは助けられたり助けたり 心温まる経験をして ネットゲームで他人と触れ合うことを楽しく感じはじめていたとき ごく普通に狩り場(モンスターと戦う戦場みたいなもの)で狩りをしていると いきなり知らない人に後ろから攻撃されて 死んでしまったらどういう気持ちがするだろう。
相手に「何故PKされたのか」聞いてみたって「邪魔だったから」と言われたらどう思うだろうか。
多分PKしてきた相手は中高生くらいの子供だろう。私が経験しただけではなく 同じ様なやりとりを何度も目の前で見てきた。その度に非常に嫌な気分になった。何とも言えない嫌な気分だ。自分がPKされるとかに関わらず 他人のやりとりを見るだけでも胸くそ悪い。
とてもじゃないけど 私は正常な精神をここ(MUの世界)で保つことは不可能だと感じ 殺伐とした雰囲気に吐き気さえ感じたのでやめることを決めた。
なんで そんな気持ちをしてまで ゲームをやっているのか 自分で考え直したからだ。

人間の欲望の赴くままに(本能ってこんなに強いのか!)

MUに何故ハマったかと考えた末 「MUのシステムが人間の本能に根ざしているから」という結論に行きついた。
私は自分的には 物欲というものは強くない方だと思っていた。「物」に対する執着があまりない。
どちらかというと時間など 目には見えないものの方が貴重だという価値観を持っている。
それなのにMUをやると 自分にこれほどまでに強い物欲があったのかと気付かされ 我ながら驚いた。
モンスターを狩ると アイテムを落とすのだが そのアイテムのために皆プレイしているのだ。
私だって皆と一緒で 自らが死闘した挙げ句にようやく敵を倒したあとのアイテムが ゴミ(役に立たない・価値のない)アイテムだったら がっかりするし いくらゴミでも他のプレイヤーに横取りされたら めちゃくちゃ腹が立った。(PKの原因はこういうトラブルが発端になっていることがしばしば)
人前で レアな(または派手・強い)装備を着ることだけが MUの世界では価値のあることであり「人より秀でた」とされることであるのは 誰が決めたわけでもなく自然とそうなのである。
人間の「欲」という本能を上手く操っている。本能に根ざしている物は いつの時代でもよく売れる。アダルト業界が常に活性しているのと同じ原理だと思う。
そういう意味では非常に良くできていると思った。「他人より目立ちたい」「他人に勝ちたい」という欲求を満たす場が きっとMUにはあるのだろう。
ただ 本能(この場合はあえて煩悩と言いたいところだが)を押さえきれないのは 子供(未熟)である証拠だと私は思う。
ネトゲをやり続けられると言うのは 精神的に子供である証拠だと。駄目だといってるわけじゃない。私自身もネトゲを作りたいと思っているし これからも色んなネトゲをプレイする。
ただ のめり込んで抜けられなくなるのが子供だというだけ。本能を押さえきれない人が 多く集まっている場だからこそ 私にもし子供がいたら絶対やらせたくない と思うのだ。
物欲は強くないと思っている私でさえ 物欲を感じさせられる環境は 子供がやるには強すぎる。子供はどうしてもそのコントロールができないため アイテムのためにPKしてしまう。自分中心的な考え方になり またそういう行動をとるようになる。
先にも述べたように ネットゲームの世界は「他人との関係性を重視する世界」である限り そこは現実社会にほど近い。
ということは 現実と虚構の区別がつかなくなってしまう可能性は極めて高い。
(現に 男の子がプレイヤーで女の子と友達になるためにレアなアイテムなどを「あげる」と言って ナンパしてるところも数多く見た^^; ある意味リアルだから 友達になりたいわけでしょう。男の本能ね。それを分かってて女の子の方もわざと「○○って持ってないんですよ〜」とか 「××乗ってみたい♪」とか言っておねだりしていたり^^;。いやはやこれをリアルと言わずして何なんだろう)。
そんな中で 自己中心的に行動することがまかり通ってしまうことは 非常に危険だと感じている。

それでもMUは売れている

本能に根ざしているのはいわゆる「習慣性」を持たせるためである。このシステムは 確かに一度やりはじめるとなかなかやめられなくなる。「やめるきっかけ」がないためだ。PKなどに遭うのがやめるきっかけになるのでは と思う方もいらっしゃるだろう。
確かに「嫌な思い」をすることがやめるきっかけにはなる。しかしやめてしまったら そこまで努力して上げたレベルも手に入れたアイテムも 全て意味がなくなる。そう思うともったいなく思いずるずるやってしまう。
そうしてるうちにPKに遭うことも受け入れるようになりだんだん「やられたらやり返せ」と考えるようになる。そうなると「やめるきっかけ」は完全になくなる。その世界にログインしないと なんだか落ち着かなくなる。テレビを見ていても集中できない。それは「惰性」で ずるずるとやり続けてしまうのだ。
そして廃人の道へって感じだろう。
ネットゲームはプレイし続けてもらわなければ儲からない。だから「習慣性」というものが必要となる。
手に入れた「レベル(=権力欲)」や「アイテム(=物欲)」に執着がでてくる。それを全て失うのが怖くなってくるのは 人間なら誰でも多かれ少なかれ経験があるのでおわかりだろう。だからネットゲームは儲かるのだ。人間誰しもが持っている部分に訴求しているからこそ。
現に MUは既に課金サービスが始まっているが 今でもプレーヤーは多い。多大な宣伝費をかけて宣伝しまくっているだけの効果はある。宣伝してやりはじめるきっかけさえあれば 後はずるずるとプレイヤーを引きずり込んでいける。
私は大学で「広告」を専攻してきたが 実際に自分が色々経験してきて思うのは 広告とはいわゆる「見せかけ」だけだと実感する。その「見せかけ」に気付かず踊らされる人が多ければ多いほど その商品は「いいもの」として変貌していく
でも少し考えてほしい。それは本当に「いいもの」だろうか。多くの人が知ってるから どこかで見た聞いたものだから「いいもの」なのだろうか。そうやってMUが「いいもの」ということになっていくのかもしれないけれど 私はそれはとても恐ろしいことだと感じている。





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